『山鹿市』歴史公園鞠智城
熊本県山鹿市スペシャル最終章です!!
いきなりですがクイズです!
鞠智城 これは何て読むでしょうか?
皆さん最初「ま」と思ったでしょう?
僕もです!まりちじょうと思いました笑
正解は最初の「ころう君」の画像にこっそり書いてます!
という事で今回は山鹿市にある鞠智城へやって来ました。
以前ネットでたまたま見つけてすごい気になっていたんですけど名前を調べてなかったんですよねー。漢字もうろ覚えで鞠っぽいイメージしかなく・・
山鹿市の観光案内で再び見つけて是非行こうと思いました。
ですが相変わらず名前を調べておらずグーグルマップで「まりちじょう」と入れても一致する結果がありませんと一蹴・・
何城なんだ・・
仕方なく山鹿市で「城」というキーワードでしらみつぶしに探して何とか見つけました!
看板にも書いてない!
何城か分からないまま中に入ることに。
温故創生館(資料館)があったのでとりあえず行ってみました。
入るなり受付のお姉さんに10分程の紹介ビデオがあるので観ませんかと言われました。つい「じゃあせっかくなんで」と言っちゃったんで急遽一人っきりの上映会開幕。
出だしでいきなり「きくちじょうは・・」
きくちじょうかあああ!!
全俺が心の中で叫びました笑
男の子とそのお父さんが鞠智城を訪れて史跡を巡りながら勉強するビデオでした。
全く知らない城でしたのでとても勉強になりました。
鞠智城は7世紀後半(約1300年前)に大和朝廷が築いた山城です。
時は663年、日本は友好国であった百済を助けるため援軍を大陸に送りましたが唐と新羅の連合軍に敗れてしまいます。これが歴史で習う白村江の戦いです。はくすきのえか、はくそんこうかで意見が分かれますね!
この戦いに敗れたことで今度は日本に攻め込んで来るのではないかと日本は危機感を覚えました。
そして当時の九州の中心である大宰府を守るために大野城(福岡県)や基肄城(佐賀県)が築かれました。これらの城を支援するため鞠智城は築かれたのこと。この時期に多くの古代山城が築かれましたが鞠智城はその中でも一番南に築かれた城になります。
まあ鞠智城まで攻められたら大宰府はとっくに落とされてますよね・・笑
698年には続日本紀に大野城、基肄城と共に鞠智城が修繕した記録が残ってます。
上映終了後、資料館内を見学。
写真OKとありましたので遠慮なく。
こちらは百済系銅造菩薩立像。
百済との結びつきが強かったのが分かりますね。
こちらは鞠智城のシンボル的な存在である鼓楼(ころう)。地元の工業高校が作った模型です。
米倉や兵舎の模型もありました。
この後実物を見に行きます。
外に出ると例の鼓楼か遠くに見えました。
鞠智城の周辺マップを見ると『日輪寺』や『不動岩』など今まで行ってきた所が載っています。
公園の中央には防人の像がありました。
あんまり防人っぽくない人もいますね。
いよいよ鞠智城のシンボル鼓楼へ向かいます。
この鼓楼がいいですね!
八角形の建物自体珍しいしどこか異国感がありますよね!
柱の形から推測し復元したのがこの鼓楼だということです。
更に近づくと、誰か居ますね
鞠智城イメージキャラクター『ころう君』でした!!
中の柱も良い感じです!
残念だったのはこの米倉です。
芝生の張り替えの都合でオレンジの柵があり近くまで行くことが出来ず・・
その他にも兵舎や板倉(武器庫)等が復元されています。
しかし鞠智城は広く今周ったのも一部です。
他も周りたかったのですが時間と体力の関係上行くことが出来ず・・
さてこの鞠智城ですが、兵士達が訓練し有事に備えていましたが、戦乱に巻き込まれることもなく徐々に城としてより倉庫としての役割が強くなっていき終焉を迎えることになりました。
しかし歴史的価値は高く2017年には続日本100名城に選定されています。
くまなく見れたわけではないですが大変満足できました。
気になった人は是非行って温故創生館で10分のビデオを観ましょう!
※歴史公園鞠智城・温故創生館
〒861−0425
熊本県山鹿市菊鹿町米原443−1
TEL0968−48−3178
入館無料